テレビで何度となく耳にしたメロディーが今まさにその作曲者自身の手において紡ぎ出されようとしている。毎日のようにテレビから流れるそのメロディーは尺八などのリード楽器と軽やかなリズムセクションに彩られているが、今日はピアノだけでの演奏だ。長い髪がシンコペーションのリズムに呼応して揺れる、なじみのメロディーに聴き入る人々の顔もほころび始めている。それぞれに体でリズムを刻みながら・・・。テレビからでは感じられなかったルートの動き、斬新な和声、テンション感、改めてこの楽曲のすばらしさが心に響いてきた。ゆっくりお辞儀をして彼女はにっこりと微笑んだ。
プログラムも素晴らしかったし、心のこもった演奏だった。いつも彼女には頭が下がる。どんな時も全身全霊で演奏してくれるからだ。彼女の名は「磯村由紀子」。今日演奏して頂いた NHK の「趣味悠々」のテーマ曲はもちろん、様々な場面で彼女の楽曲は使われ流れてくる。彼女が楽曲を書きリーダーをつとめるバンドやデュオでのコンサートやライブも精力的にこなしているし、アメリカやヨーロッパでの演奏活動、レコーディングも恒例だ。僕個人としてはソロコンサートをたくさんやってほしいと感じた。ソロでは表現できないことがたくさんあって難しい・・・って彼女は言うだろうけれど、ソロでしか表現できないこと、味わえないこともたくさんあるんだな・・・って今夜思ったから。とにかく今日お泊まりの二組のお客様はラッキーだ。やはり音楽は生がいい。そんなことを強く感じさせてくれた素敵な七夕の夕べだった。
2007年6月26日
「ペチの手術」
トロールの森にて
みさ
記
さっきから、愛猫ペチが膝にへばりついている。首の回りには、ラッパ状に巻かれたプラスチック製の板(エリザベスカラーというのだそうだ)。まるで拡声器みたいだ。毛を剃られた腹部が、まだ痛むのだろう。時折体を起こしては、舐めようと試みているけれど、ラッパが邪魔してうまくできない。そうして再び、膝の上に突っ伏すのだ。
ペチが避妊手術を受けたのは 3 日前。以来、首の回りのラッパと格闘している。たとえば、視界が遮られるせいで、歩くときは首を大きく左右に振らなければならないし、顔をすり寄せて甘えることもできない。ご飯を食べるのもままならず、カバー付のトイレのドアに引っかかって中に入れず、床に粗相をしたこともあった。昨日まで当たり前にできたことが、ある日突然できなくなる。そのショックに、ペチは当初、ただただ、うちひしがれているようだった。それでも、投げやりにならず、かといってあらがうこともせず、この状況に無言で闘い、耐え続けている。
恋の季節は、突然訪れた。最初の相手は、夫の父親、つまり義父。もっとも、このときはまだ軽症で、もしかしたら・・・と思う程度だった。ところが、2回目で加速した。遊びに来た知人の T 氏を見るなり、ペチはいきなりおしりからすり寄って、みゃーご、みゃーごと、巻き舌のような大声で鳴き続けたのだ。その苦しそうな姿を見かねて、避妊手術に踏み切ったわけだが、もちろん、ペチにその辺の事情がわかるはずもない。
思えば、健康な体にメスを入れるとは、なんと無謀なことだろう。猫にしてみれば、これほど迷惑で、理不尽きわまりない出来事はないにちがいない。けれど、ペチはけっしてわめかない。このエゴの固まりのような飼い主をも、責めることをしない。
膝にはっしとしがみついているペチをそっと撫で、ふと我が身を振り返る。そういえば、最近愚痴ばかり言っているな。ずいぶんため息も多いよな。そうして再びため息をつく。
猫って、本当にすごいなあ。